「時給100万円のホームレス」広島太郎とは何者か──Xの証言でたどる本通りの記憶
広島市の中心部で長年目撃され、“時給100万円のホームレス”という異名で語られてきた広島太郎さん。
地元では「本通り太郎」とも呼ばれ、1970年代から街の記憶の一部として語り継がれてきました。本記事では、X(旧Twitter)の投稿を引用しつつ、通称の由来、当時の報道、そして彼が残した価値観を丁寧に振り返ります。
「本通り太郎」という呼び名とXの証言
もっともよく出没した場所から、地元では「本通り太郎」の呼称が定着していました。以下のXポストは、その呼び方が市民の間で広く浸透していたことを物語っています。
本通り太郎さんが亡くなられたそうですね。謹んでお悔やみ申し上げます。
広島太郎さんとも呼ばれていますが私たちは本通り太郎さんと呼んでいました。殆ど本通りにおられましたから。
昔テレビの11PM(司会藤本義一)に出演されて広島大学工学部卒で東洋工業に一時就職されてたと言われていましたね。 https://t.co/B5cGvzlxcK pic.twitter.com/cE5X2xreBr— みのちゃん昭和のニュース (@zrx_1200r) October 24, 2025
番組出演や学歴・職歴に関する「広大工学部卒」「東洋工業(現マツダ)勤務」といった言及も見られますが、これらは証言レベルであり、一次資料での裏付けは慎重に確認する必要があります。
1978年の中国新聞:当時の本人インタビュー
1978年に中国新聞が彼を紹介しており、インタビューで語った価値観が残っています。以下のポストからは、当時から一貫していた「自由」への志向が伝わってきます。
当時本通り太郎さんと呼ばれていた? 中国新聞が1978年に紹介https://t.co/V1fHugzVNs
「わしの生活は自由と横着がテーマ」「他人は他人、自分は自分」などとインタビューに答えていました。#広島太郎
— 中国新聞 (@ChugokuShimbun) October 24, 2025
「他人は他人、自分は自分」という言葉は、彼の存在が単なる“奇異”ではなく、生き方の選択として受け止められていたことを示しています。
“時給100万円”という伝説は何を意味したか
“時給100万円”というフレーズは、実額の裏付けが見当たらない(=都市伝説的な比喩)一方で、彼の象徴性や注目度の高さを端的に表すラベルとして広まりました。
金額そのものより、「存在が価値を生む」という比喩として理解するのが適切でしょう。
自由に生きるという価値観──市民の記憶
Xには、彼を初めて見たときの衝撃や、その後の人生観に与えた影響を語る声が多く投稿されています。次のポストは、“自由に生きることの尊さ”に触れた印象的な証言です。
6歳の時に福屋に連れてってもらった。中央通りで初めて広島太郎を見て衝撃を受けた。「こんな人がおるんじゃ」と。
「勉強せんかったらホームレスになるよ!」って脅されだけど、のちに彼は広大卒だと知って、人生とは…と深く考えた。
やりたい事だけをやって、自由に生きる事の尊さを学んだ。 pic.twitter.com/mSPzADRPxc— エスエス (@kabushi_ss) October 24, 2025
目の前の“異質さ”に立ち止まり、働く意味・生きる意味を見つめ直す。彼は、街角から無言の問いを投げ続けていたのかもしれません。
注意書き:未確証情報の扱いについて
- 学歴・職歴(例:「広大工学部」「東洋工業」)は、証言ベースで語られることが多く、確証には至っておりません。
- “時給100万円”は誇張・比喩としての流通が主で、具体的な金額の裏付けは見当たりません。
- 4年前のYouTubeで取り上げられた時には、撮影1回1,000円の発言も・・・
まとめ
広島太郎(本通り太郎)さんは、広島の都市風景そのものとして記憶される存在でした。
“時給100万円”の真偽を超えて、彼が私たちに残したのは、「他人は他人、自分は自分」という強くやさしいメッセージ。
それは、日々の選択に迷う私たちに、今も静かに響いています。

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